ことさらに副業したい理由を深く掘り下げなくても、「お金がないから働きやすい仕事で稼ぐ」といった単純な理屈で片付けられます。
しかし、本業の会社にそのような説明をしても、まかり通るわけがありません。
日本は本業一筋が当たり前の社会であって、副業をしている人は特別視されます。「生活が逼迫しているのか」「本業を疎かにしている」「何か特別な事情がある」といった、表層的解釈がされやすいのです。
2007年における労働省の調査データによれば、米国では2つ以上の仕事をしている人は5.3%しかいませんでした。各州で差が見られるものの、予想に反した少ない数字です。
しかしながら、企業が副業を固く禁じているわけではありません。むしろその逆で、副業禁止は自由を妨げる行為と見なされています。
米国では警察官が副業でボディーガードをしているくらいです。役所に勤務する行政職、子供たちを教育する教職員、検査機関の技術系研究職、博物館や美術館の学芸員など、これら公務員でさえも副業は認められています。
企業には副業を規制するルールがあるだけです。本業に何らかの問題が生じたときにだけ、副業を制限するのであって、始めから副業を禁止している企業はほとんどありません。米国を始めとした欧州圏では、副業を禁止している企業は日本よりもはるかに少ないのです。
サラリーマンが就業時間外でも会社の規則に従うのはおかしな話です。個人の自由時間まで会社に束縛されているのは、若干の気持ち悪ささえ感じます。
もし、「副業が本業に悪影響を及ぼすので禁止」とするなら、退社後に強引に連行される飲み会をどのように捉えているのでしょう。大人の飲み方を知らない上司に付き合うほど、翌日の業務に支障をきたすものはありません。
社内恋愛を禁止している企業にも当てはまります。ストレスを抱えることを懸念しているのなら、毎日の満員電車、理不尽な上司の説教、上がらない給料を先に解決して欲しいです。日常生活で疲労やストレスを感じる事柄はたくさんあるのに、副業だけを禁止するのは筋違いです。
日本では会社だけではなく、国が定める法制化でも無用の介入をしています。例えば、自動車の後部座席のシートベルト着用の義務、自転車の親子3人乗りの禁止は、自己責任の範囲に留めてほしいです。
確かに事故は減ると思いますが、個々の判断力も減っていくかもしれません。過剰なルールは独創性のある言動を抑制し、奇抜なアイデアを生みにくくします。
携帯電話が普及し始めた頃は、電車の中でも通話している人が目立ちました。それでも鉄道各社がマナー普及に努めた結果、他人に迷惑をかけている意識が国民に広まり、自然と電車の中で話す人は少なくなりました。
法で強制するのではなく、知識を与えるのを優先したいです。自発的な行動は協調性や他人への思いやりを促します。
ルールの厳格化が全ての原因とは言えませんが、「ああしなさい、こうしなさい」「あれはダメ、これもダメ」の過保護な社会で甘えん坊が増加している気がします。
法治国家の日本にも関わらず、企業が副業までを管轄することは、社員の会社への依存度を高めていきます。会社の歯車になった途端、ちょっとしたアクシデントでも精神的に追いつめられてしまいます。
日本には「仕事=人生」のような図式が根強く残っているのかもしれません。
流動性ある雇用が副業を促進
副業のほうが転職よりも安全